34年前の本日9月20日、代々木第一体育館にておニャン子クラブの解散コンサートが行われた。
ファイナルコンサートツアーの最終日であるこの日は1日3公演行われたのだが、僕が見たのは3公演目。つまり本当のラスト公演。
なぜそのようなプラチナチケットが僕の手元に来たのかは書けないが、これはもうラッキーだったとしか言いようが無い。
この時のチケットは見開き式で、上の画像は開いた状態。
***
当日は早目に会場周辺に行き、近くの「ホコ天」でバンドをいろいろ物色。「イカ天」の放送が開始される約1年半前の時期ですが、もうこの頃は既にかなりの数のバンドが演奏してましたね。
ホコ天の話しは以前にも書いたので参考まで。
https://kzroom.hatenablog.com/entry/20051128/p1
***
会場前にはチケットが手に入らなかったファンが大勢押しかけて、アンコール時に入り口を強行突破した、なんて話がありますが、僕はそれと同じ現象をこの翌年、BOØWYの「LAST GIGS」が行われた東京ドームで、開演直前に22番ゲート辺りで目撃したことがありますね。
おニャン子ファンの暴走は記事になったようだけど、BOØWYファンの暴走を報じたメディアを見た記憶がないので、そんなことがあったなんて、現場にいた人しか知らないだろうね。
余談だが、「LAST GIGS」が行われた前月に、ロン・ウッド&ボ・ディドリーの来日公演を当日券で観ようと会場(東京郵便貯金会館、現:メルパルク東京)へ行ってチケット売り場で並んでた時、不運にも僕の3人前で売り切れてしまい途方に暮れていたら、買えなかった数人が駄々をこねだして主催者側と交渉した結果、「立ち見で良ければ・・・」ということになり、無事会場に入れた、なんてことがありましたが、その話はいつか詳しく書きます。
ちなみにその交渉をしてる時、僕らの前で1台のタクシーが止まり、そこから降りてきたのが、なんとロン・ウッドさん本人だったという、面白エピソードもあったりする。
「もう開演してるのに今頃到着かい!」と、心の中でツッコんだのは言うまでもありません。
この日のライブ音源を聴くと、冒頭の数分間ロン・ウッド不在なのがわかりますが、そういった事情があったのです。
***
おニャン子クラブが解散した翌年に、シブがき隊が同じ代々木第一体育館で「解隊」した時、僕はチケットを持っていないのにも関わらず会場へ行き、中に入れなかったおニャン子ファンと同じ思いを味わった。
あの日、原宿駅前の歩道橋の上から見た代々木第一体育館の光景は今でもよく覚えてるが、その歩道橋はもう既に存在しない(2014年に撤去)。
***
“「セーラー服を脱がさないで」でドラムを叩いているのは青山純”、という、完全に定説化してしまった有名なデマがある。
ネットで検索しても、多くの人が何の疑いも持たずに「ドラムは青山純」と書いている。wikipediaにもそう書いてあるし、青山さんが亡くなった後にテレビ・ラジオで放送された追悼番組などでも「セーラー服を脱がさないで」を、青山さんのレコーディング参加曲として紹介していた。
しかし、あの曲を作編曲した佐藤準さんが「ドラム青山純説」をキッパリ否定しているのです。
各関係者の発言や一次資料を精査すると、当初は青山さんでレコーディングしたものの、何らかの事情で佐藤準さん本人による打ち込みに差し替えられることになったが、その情報が連携されずに「ドラム:青山純」というクレジットで世に出てしまった、ということなんじゃないかと推察できます。
僕が初めて「ドラム青山純説」を知った時、“えっ!、アレって生ドラムだったの?”と驚いたもんだが、その数年後、佐藤準さんの発言を読んで“やっぱりな”と腑に落ちました。
異論のある方は、名著「ニッポンの編曲家」という書籍に掲載されている佐藤準さんのインタビューを熟読してください。
***
「多人数アイドルグループはメンバーの声を聴き分けられるようになると楽しい」、ということを教えてくれたのが彼女らの「夢カタログ」というセカンドアルバムで、ラストに収録されている「夢の花束」を初めて聴いた時は、目眩がしてクラクラしたもんです(いい意味で)。
最後の新田恵利と河合その子の掛け合いとか、今聴いてもヤバイよなぁ。
あれから随分と長い時間が経ちましたが、いまだに僕は毎日クラクラ過ごしてますよ。いろんな意味で。