極私的松田聖子エピソード集 part6

新曲にはがっかりしたよ「80年代に東京でやった松田聖子のコンサートは全部生で観た」とか言ってた僕ですが、実家の発掘調査で出てきたコンサートチケットの半券と当時のスケジュールを照合してみると、1日で昼夜2公演やってる日の昼公演分しかチケットが見つからなかったり、またはその逆で夜公演分しかチケットが見つからなかったり、という事案が出てきた。

ただ、その照合してるスケジュール自体も、コンサートパンフレット、ファンクラブ会報、各ファンサイト、その他諸々のネット情報、に掲載されているものがそれぞれ微妙に違っていたりと、もう何が正解なのかさっぱりわかりません。

果たして僕は本当に全部観てるのか?

諸々のネット情報と僕の記憶、何が正解で何が間違ってるのか?

正直なところ、それを突き止める気力もないし、頑張ったところで答えは出ないだろう。なので今後は、「80年代に東京でやった松田聖子のコンサートは“だいたい”生で観た」ということにします。

では90年代はどうだったのか?というと、1999年10月にZepp Tokyoでやったライブにどうしても都合がつかず行けなかったので、「90年代に東京でやった松田聖子のコンサートは“だいたい”生で観た」とは言えなくなってしまった。あと3ヶ月で90年代も終わりだったのに。

1980年のデビューから20年続いていた「東京でやったコンサートは“だいたい”生で観た」連続記録はそこで途絶えてしまったのでした。

2000年以降は武道館3daysだったら1日だけ行けばいいや、みたいなそんな感じです。さらにここ10年くらいは諸々の事情でコンサート会場から足が遠のくばかり・・・。

80年代のコンサートスケジュールを調べてみると聞いたことないツアータイトルがいくつかあって、日程を見てみたら案の定スケジュールに東京は含まれていなかった。当時は地方まで観に行くという発想もお金もなかったから、東京でやらない、ということだけでスルーしてたんだと思う。

しかしスケジュールの中に「神奈川県民ホール」という文字を見つけて、今になって後悔しまくりだ。あそこなら当時でも1時間かからないで行けたのに(東横線みなとみらい線が直通になった現在では30分で行ける)。

しかもそのツアー、1曲目が「少しずつ春」だったらしい!。あの曲たぶん、生で聴いたことないかも。あの頃の声で「少しずつ春」を生で聴くことができなかったのは、リアルタイムファンとしては悔やんでも悔やみきれない。

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僕が初期のハイトーンボイスを最後に生で聴いたのは、前回も取り上げた1981年4月18日の日比谷野外音楽堂だと思うが、その3ヶ月後からスタートしたコンサートツアーが「Nice Summer Seiko」だった。

これがそのツアーのファンクラブチケット申し込み案内書


申し込み書部分が残ってるということはファンクラブで申し込まなかったということだが、案内書から切り離されているので、当初はファンクラブで申し込むつもりだったのだろう。

ではなぜファンクラブで申し込まなかったのかというと、必ずしも希望会場のチケットが取れる保証がなかったのと、一人一会場までだったからだ。

このツアー、東京では初日の中野サンプラザと最終日の渋谷公会堂(昼夜2公演)の計3公演あって、全部観に行く為には一般発売で買ったほうが得策と判断したのだ。

その当時はまだチケットぴあなどのオンラインチケット販売がなかったので、朝早くからプレイガイドに並べば大抵買えたのだが、問題はどこに並ぶかだった。

主催元の系列店は良いチケットが出る、という都市伝説のようだが実際にはマジだった話が当時あって、文化放送主催なら新宿PePeの文化放送プレイガイド、ニッポン放送主催なら新宿アルタ地下のニッポン放送プレイガイドで買う、というように使い分けていた。

「Nice Summer Seiko」は文化放送主催だったので、迷わず新宿PePeに朝から並んだ。その日は土曜日だったが当時は土曜日も学校があったので、適当な理由をつけて学校へは遅刻していったような気がする。

そんな甲斐あって無事に3公演分のチケットは確保できた。

一般発売で初日が6列目、最終日(昼夜共に)が8列目なら上出来だろう。

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Nice Summer Seiko 初日 1981年7月27日 中野サンプラザ
セットリスト (TOTAL TIME 1時間36分)

00.Introduction
01.夏の扉
02.青い珊瑚礁
03.Summer Beach

MC1

04.白いパラソル

MC2

05.潮騒
06.裸足の季節
07.Sailing

MC3

野菊の墓」のダイジェスト上映

08.Mordern Girl(Sheena Easton
09.愛のコリーダ(Chaz Jankel、Quincy Jones)〜 Lovely One(The Jacksons)
10.Moon River(Audrey Hepburn)

MC4

11.Ob-La-Di, Ob-La-Da(The Beatles

MC5

12.君と歩いた青春(風、太田裕美)※ピアノ弾き語り
13.あなたの手紙

MC6

14.ロックンロール・デイドリーム
15.風は秋色
16.チェリー・ブラッサム

MC7

17.Only My Love

アンコール

MC8

18.白いパラソル
19.SQUALL(アップテンポになるところから始まるバージョン)

Closing 〜 Only My Love 〜


このツアーのダイジェスト版ともいえる「聖子夏を行く」という番組がNHKで制作・放送されたが(初回放送は1981年8月30日、収録は8月24日)、実際にコンサートで披露した内容と「夏を行く」とでは若干アレンジに相違がある曲が存在するので記しておきます。

  • 愛のコリーダ」〜 「Lovely One」のメドレーは「夏を行く」では唐突な終わり方をしているが、実際のコンサートではあの後にコーラス(コールアカシア)&バンド(ザ・コンソレーション)の紹介があり、インストパートへと続く(その間、聖子さんは衣装替えタイム)
  • 「Only My Love」をコンサートで歌う際のエンディングはライブ用のアレンジが施されていたが、「夏を行く」ではスタジオテイクに準じたアレンジで終わっている。また「夏を行く」の収録時に指揮の小野寺さんが不在だった為、最後のツインリードになる部分で本来なら上のパートを弾くギタリスト(ゴールドトップのレスポールがメインギターの舘村さん)がギターを弾かずに指揮に徹している。

なお番組冒頭に“初の全国縦断コンサートは北海道からスタート”というテロップが表示されるが、「Nice Summer Seiko」の初日は間違いなく中野サンプラザ公演です。ただ「北海道からスタート」というのは、コンサート合宿が北海道だった、ということなのかもしれませんが、確認は取ってません。ちなみにレッツヤンのテロップは間違いがよくあったので、あまり鵜呑みにしないほうがいいですよ。

この番組を見て“「Nice Summer Seiko」って、こんな感じのコンサートだったのかな”と思ってる人は多いかもしれないけど、それは大きな勘違いだと声を大にして言いたいですね。「Nice Summer Seiko」は間違いなく初期の集大成的なコンサートツアーで、喉のコンディションが悪い日もあったけど最終日にはほぼ回復してて、最高のパフォーマンスを聴かせてくれました。特に夜公演は客層も精鋭ぞろいで異常な盛り上がりとなった。「夏を行く」の収録を観覧してる客は招待された一般客なのでいまいち盛り上がってないようだけど、実際は勿論あんな感じじゃないです。今振り返ってみても、僕にとって一番思い出に残るコンサートツアーは、この「Nice Summer Seiko」だと断言できる。

最終日の昼公演では、客のリクエストに応えて八代亜紀さんの「雨の慕情」を歌った(ザ・コンソレーションの伴奏付き)。

「SQUALL」をオリジナルキー(C)で歌ったのはこのツアーまでで、翌年の「FANTASTIC CONCERT」からはB♭に落として歌われることになる。

「Sailing」1981.9.16 渋谷公会堂 夜公演より

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【追記】

光GENJIが1988年に行ったファーストライブの映像を見てたら「Lovely One」を歌ってたんだけど、聖子さんが1981年に歌ってたのとほぼ同じ日本語訳でびっくり。これには大元のネタがあるのだろうか?

開始から11分くらいのところ

実はこの映像が収録された日の前日の公演を武道館で見てるんだけど、当時は全く気がつきませんでした。

その日のことはこちらに書いたので参考まで。
https://kzroom.hatenablog.com/entry/2018/01/23/000000

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「Nice Summer Seiko」コンサートツアーが終わった頃に届いた手紙。

結局その後もファンクラブでの優先購入を利用することはほとんどなく、一般発売で購入することが多かった。ファンクラブは抽選だから確実じゃないし、希望日が当たる保証もなかったから、というのがその理由。

キョードー東京が主催するようになってからは、青山の本社ビルに直接買いに行きましたね。明け方頃から並べばだいたい5列目前後くらいだったし、キョードー東京で買うと「聖子仕様」のチケットケースに入れてもらえたのだ。青山まで自転車で30分くらいのところに住んでたのはラッキーだった。


そういうわけでもはやファンクラブに入ってるメリットがなくなってしまったので、84年頃には会費も払わなくなって自然退会。退会後のファンクラブ会報は、サンミュージックが入っていた四谷の大木戸ビル1階にあったオフィシャルショップで購入できたので、半年に一回くらいまとめて買いに行きました。

これがサンミュージック時代のファンクラブ会報と会員証。

オフィシャルショップは、店の目の前で起きてしまった岡田有希子さんの悲しい事故以降、岡田さんの遺影が飾られ、現場を訪れたファンの為の臨時焼香所になっていました。

サンミュージック時代のファンクラブ会員番号は、当初は全地域共通の通し番号だったが、すぐに地域別番号に変更された。

「PART3」に載せた年賀状写真を撮影した友人はファンクラブ発足当日(1980年7月)に入会したので通し番号だったが、1980年9月に入会した僕は既に地域別番号だった。いつ変更になったかは不明です。

地域別番号というのは、例えば東京の目黒区在住の人は「3A-め」というのが番号の頭に付き、世田谷区在住の人は「3A-せ」というのが番号の頭に付く。この場合、「3A」というのが東京都在住という意味。通し番号時代に入会した人は、この地域コードが無い通し番号なのです。

二ヶ月遅れただけでかなり出遅れた感を感じ悔しい思いをしましたが、それだけこの時期に入会希望者が殺到し、会員番号体系を変えないとこの先整理が大変なことになる、と判断したための変更だったと思われます。当時はパソコンじゃなく手書き台帳での管理だっただろうしね。

会報と会員証を保存してる人は多いと思うけど、会費の納付書とかサンミュージックの封筒まで保存してる人は少ないかと思って載せてみた。

各ランキングへの投票やリクエストをお願いする葉書も時々来ましたね。

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聖子さんの隣にいるのは初代マネージャーのIさん。

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