清志郎にまつわる思い出話とか

STEP

  • 初めてRCサクセションの存在を知ったのは、1979年頃にたまたま見たテレビ番組「金曜娯楽館」(「うわさのチャンネル」の後番組)でのことだった。「ステップ」という曲を演奏する彼らの姿は、僕の脳裏に強烈な印象を残した。ほんの数分間の演奏シーンだったけど、今でも鮮明に憶えてる。
  • やがて高校に進学して音楽サークルに入ったら、RCのコピーバンドをやってる先輩がいた。僕はそのバンドのボーカル(清志郎役)が大嫌いだったんだけど、ライブの時は、僕ら後輩は盛り上げ役のサクラをやらなければならず、いつも憂鬱だったな。当時の彼女をチャボ役の人に奪われたりと、散々な思いもしたっけ。でも僕らのバンドはサークル内で唯一、自作曲のオリジナルしか演奏しない生意気なバンドだったので、“所詮コピーバンドじゃん”と、影では鼻で笑ってた。
  • 渋谷屋根裏キャバレーロンドンの上にあった頃、狭い路地を挟んだ真向かいの某店でバイトをしてたんだけど、事務所が三階でバイトの休憩室もそこだったから、夜は屋根裏の音がガンガン聴こえてくるわけですよ。“ここにRCがでてたんだよな”なんて思いながら漏れ聴こえてくる音をBGMに、テイクアウトの牛丼とか食べてた。今にして思えば、ブルーハーツとかレピッシュが頻繁に出演してた時期と重なるわけで。彼らの生演奏をBGMに休憩してたなんて、贅沢な話しだよな。
  • 一緒に草野球をやってるメンバーの中に、池○大○でイタリア風居酒屋をやってるやつがいた。そこは当然のように野球メンバーのたまり場と化し、客が少ない時はさっさと店閉めて、仲間内だけで次の日の昼頃まで飲んだり、なんてことがよくあった。そこは場所柄、芸能・音楽業界の客が多かったんだけど、清志郎も常連客の一人で、お店のメニューの表紙のイラストも、彼の手書きによるものだった。清志郎ファンクラブの会報で、その店が“お薦め店”として紹介されたことがあって、そのページが店の壁に貼ってあったっけ。僕はかなりその店に通ったんだけど、清志郎と遭遇することはなかった。“さっきまでその椅子に座ってたよ”なんてことは何度かあったけどね。その店は大○ジャンクション工事の為、立ち退かねばならなくなり、恵比寿に移転して営業を続けたんだけど、昨年そのマスターが病気で急逝してしまった。同年代の身近な人間の死はとても堪える。今回の訃報を聞いて最初に思い出したのが、彼のことだった。
  • 最後に清志郎を見たのは、1990年の日比谷野音でのRCだと思う。その頃のRCはメンバーが3人になってしまい、春日博文と厚見玲衣をサポートに迎えてのライブだった。ライブ直前に渋谷陽一の番組に清志郎がゲストで出演した際、“春日博文がドラム?、あの人ギターじゃないの?、だいじょぶなの?”と、しきりに渋谷氏に心配されてたのをよく憶えてる。実際ライブはかなり不安定な演奏だったが、まぁ、そういう部分も含めてRCでしょう、と納得した。