プロフィール(音楽遍歴編)

  • 7歳頃
    自分専用のレコードプレイヤーを買ってもらう。家にあった歌謡曲のシングル盤を聴きまくる。今思えば全て筒美京平作品。
  • 8歳頃
    テレビで見た某歌手のバックでギターを弾いていた某ギタリストに衝撃を受けギターに興味を持つ。楽器屋に通っては、憧れのギターを見つめる日々。知識もお金も無いので当然購入できず。その頃初めてラジカセを買ってもらい、テレビやラジオから録音しまくる。
  • 12歳頃
    そのクラスメイトから“ブートレグ”というものの存在を教えてもらう。小学生にして西新宿デビュー。初めて買ったブートは、ビートルズの『Watching the Rainbow 』。渋谷の近くで生まれ育ったのが幸いしてか、輸入盤文化にもこの頃から親しむ。まだタワーレコードもなかった頃の話。道玄坂ヤマハ、246沿いのディスクロード、西武地下のディスクポート(現在LOFT)、公園通りにあった頃のディスクユニオンとか。ディスクロードの正月初売りバーゲンに、お年玉握り締めて毎年朝から並んだ。
  • 13歳頃
    誕生日に念願のギターを買ってもらう。家にいる時は寝てる時間以外はギター弾いてた。この頃から自分でチケットを買ってライブにも行くようになる。自分の部屋にオーディオが一式揃う。
  • 14歳~15歳頃
    バンドらしきものを始める。バンド仲間の中に某有名音楽家の息子がいて、その彼の家が防音設備完備で楽器も全部揃っていたので、いつでも練習し放題という恵まれた環境だった。この頃から中古レコード屋に通うのがライフワークとなる。都立大学のハンターまで自転車でよく通った。家では相変わらずギターの練習。一番多くコピーしたのはジェフ・ベック。『Blow by Blow』、『Wired』あたりはアルバム1枚丸ごとコピーした。
  • 16歳~18歳頃
    バンド活動に明け暮れる。ピーク時は3バンド掛け持ち。担当はギター、作曲、アレンジ。後輩のバンドではヘルプでドラムを叩くこともしばしば。独学で楽譜の読み書きもできるようになる。これまた運良く高校が下北沢方面だったので、学校帰りに今は亡き某ロックバーに毎日入り浸る。高校生が制服のまま遊びに行って酒飲んだり煙草吸っても黙認された、そんな時代。今では重鎮になってしまった某音楽評論家や某局のVJがその店でDJをしてたので、そのツテでかなりおいしい思いもした。
  • 19歳~21歳頃
    MTR、ドラムマシン、シンセサイザー購入。キーボードもコードくらいなら弾けるようになる。バンドでの人間関係の煩わしさから開放され、自宅で多重録音の日々。演奏することよりも、曲を作ることのほうに興味がシフト。デモテープ作りまくる。某ミュージックスクールに通い始め、音楽理論を学ぶ。作・編曲家志望なのに、松本隆のパロディで適当に書いた歌詞ばかり褒められる。
  • 22歳頃
    某作曲家に師事。作・編曲を学ぶ。
  • 23歳頃
    その某作曲家経由で知り合った某ディレクターが某レコード会社を退社して、作詞家・作曲家のマネージメントオフィスを立ち上げることになり誘われる。正式に契約した訳ではないが(これがまずかった)、曲集めのコンペにちょこちょこ声をかけてもらっては曲を提出してた。結果的に何一つ採用されなかったが、ある日テレビを見てたら流れてきた某CMのバックに使われてた曲を聴いて、“これ俺が作った曲じゃん”ということがあった。後日その曲は某バンドのシングルとしてリリースされたが、作曲者クレジットを見たら、お世話になった師匠である某作曲家の名前が記載されていて愕然とする。
  • 24歳頃
    そんなこんなもあって、精神的に凹んだり自分の才能に失望したりして心が折れてしまい、早々にリタイヤ。全く別の世界へ転身。今から考えれば、もうちょっとがんばっても良かったかな、と思う。メンタル面が弱いのは今も変わらず。プロとして自分の名前で何の実績も残せなかったのは、かなりのトラウマ。
  • 25歳頃~
    元々ヘビーリスナーだったが、創作活動から離れたお陰で更に拍車がかかる。楽器や機材に投入してた資金は全てレコード・CD購入費へ。実家の一部屋は完全にレコード・CD倉庫状態。
  • 現在
    長かった“貪欲リスナー期”も落ち着きを見せてきたので、これからは、今までに好きになったものだけを聴こうと思うようになる。今後の人生は、大好きなバンド、ザ・グッバイに捧げようと決意する。自分は幸い音楽や楽器の知識がそこそこあるので、グッバイ研究に役立てればいいな、と思う。野村義男さんが還暦を迎える頃に、グッバイ研究の成果を形に残せたら・・・、と漠然と考えてます。このブログは、その下準備の意味で書いてます。ちなみに楽器のほうは、ここ数年ほとんど弾いてません。曲の分析をする時にちょこっと弾く程度なので、指は全然動かなくなってしまいました。最後に人前で演奏したのは、6年前の友達の結婚披露宴。