菊池桃子 ADVANCED DOMESTIC TOUR 1985(日本武道館コンサート)

35年前の本日、日本武道館にて菊池桃子さんのファーストコンサート「ADVANCED DOMESTIC TOUR 1985」が行われた。

この時の武道館コンサートは二日間行われたのだが、僕はそれぞれアリーナ4列目と2列目の中央ブロック(当時はEブロックが中央だった)というありえない良席で見ることができた。ただ僕の記憶では1日目は最前列で見たつもりでいたけど、今回久しぶりにチケットを見たら4列目だったので、自分の記憶力にまたもや愕然。

このコンサートはキョードー東京が主催だったんだけど、キョードー東京主催の場合の良席チケット入手方法は、それまでに松田聖子でバッチリ習得していたので、特に苦労なく確保できた。

チケット発売日当日朝5時頃、キョードー東京がある表参道のビルに着いたら、チケット購入者の列を仕切ってる人(キョードー東京の人ではない一般人)に「このノートに名前を書いて発売開始30分前に再度集合してください」と言われ、そのとおりにした。「何でお前が仕切ってんねん?」と思ったが、寒い中何時間も並ばずに済んだのは助かった。当時はこういう「謎の仕切り屋」がよくいたもんです。

いよいよチケット発売開始、という時に、僕の後ろにいた高校生くらいのグループの子に何度か話しかけられたのを覚えてるが、数年前に浅草キッド玉袋筋太郎氏がラジオ番組で「菊池桃子の武道館コンサートを2列目で見た」と話していたのを聞いて「あの時の男の子かも?」と思ったが確認はとれていない。横浜アリーナでプロレスを見た帰りに新横浜駅前の書店店頭で浅草キッドが書籍の手売りをしてるところに遭遇した時、よっぽど菊池桃子の件を訊こうかと思ったが、いきなり「キョードー東京で並んでましたか?」なんて訊くのも失礼なのでやめた。

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当日会場に入ったら物販で彼女のアルバム「Ocean Side」が売ってて、購入者にはサイン色紙が貰えた。僕は既にアナログ盤を持っていたが、サイン色紙欲しさにCDを購入した。まだ当時はCDプレイヤーを持っていなかったが、同じアナログを二枚持っててもしょうがないからCDを購入。その結果、僕が生まれて初めて購入したCDが「Ocean Side」ということになった。

彼女のサイン色紙は「雪にかいたLOVE LETTER」のリリースイベントに行った時に貰えるかと思ったら握手だけだったので念願の獲得。

そのイベントは千葉の八千代台にある「ユアエルム」というショッピングセンターで行われたんだけど、コンサート、イベント等で東京から出るのは初めてだったので、物凄い長旅に感じた。これで僕にとって「初めてのCD」、「初めての地方遠征(千葉だけど)」が共に桃子さんということに。彼女と握手したのはこの時の1度だけです。

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この武道館コンサートにはエイブラハム・ラボリエル、アーニー・ワッツといったビッグネームが参加してて当日はびっくりしたもんだが、どういう経緯であのメンバーが参加することになったのかは謎。

ライブビデオではカットされているが、桃子さんが登場する本編の前にバックバンドだけでインストを二曲演奏した。エイブラハム・ラボリエルが8弦ベースを掻き毟るようにパワフルな演奏をしていた姿が印象に残ってる。

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そのライブビデオはコンサート同年に発売されることになるが、発売より一足先にフィルムコンサートが行われた、

「フィルムコンサート」なんて、時代を感じさせるイベントですね。

フィルムコンサートは80年代前半くらいまで、洋楽アーティストを中心によく行われていましたが、アイドル物は珍しいかも。

チケットの半券が残ってたのでついでに紹介。

これはチケットには明記されてないけど、ウッドストックツェッペリンの「狂熱のライヴ」とクリームの解散コンサートの3本立てでした。

会場が今は無き久保講堂(1984年閉館)だが、久保講堂に行ったのは、これと北原佐和子さんのコンサートくらいしか記憶にないですね。

北原佐和子さんのコンサートやイベントも数回行ったので、いつかちゃんと書く予定。自分で撮った写真やオーディエンス録音もかなり残ってたりする。

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コンサート本編ラストで音楽監督林哲司さんが手をひかれて登場するが、ちょうどこれを見た直後に林さんが某音楽スクールで講師をしていることを知り、林さんから指導していただけるのなら・・・、と思い、僕はそのスクールの門を叩いた。しかし僕が林さんのクラスを受験できる資格を得たタイミングで講師を退任するというアクシデントが発生し、僕が林さんの門下生になることは叶わなかった。ところが林さんの後任に就いたのが、僕が大々ファンだった作曲家の某大先生でオレ歓喜。渾身のデモを2曲仕上げてオーディションを一発通過し、まんまと某大先生の門下生となったのでした。そこから僕の人生が大きく曲がることになるのですが、その話はまた別の機会に。

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この年は主演映画「テラ戦士ΨBOY」の公開と二度目のコンサート「DOMESTIC-TOUR '85」も行われてて、当時の人気の凄さが伺われる。


こうして振り返ってみると、1985年のオレって菊池桃子ドップリですね。松田聖子の結婚ショックとは何だったのか?

ちなみに桃子さんの武道館コンサートが行われた日の前日、聖子さんが神田氏との「恋人宣言」を行い、僕は失意のどん底だった。そのへんのことは以前書いたので参考まで。
https://kzroom.hatenablog.com/entry/20160302/p1