極私的松田聖子エピソード集 part8

kzroom2015-11-19赤いスイートピー」について聖子さんは、“私と女性ファンを繋いでくれた架け橋”と、この曲から女性ファンが増え始めた的なことをよく口にするが、僕はいまだにこの件に関しては懐疑的だ。

僕は共学の学校に通ってたけど、相変わらずクラスの女子達は徹底的なアンチ聖子だったし、部室(いわゆる軽音)のラジカセで聖子さんの曲を聴いてたら、後日クラブミーティングで、“部室で松田聖子とか流されるとイライラするので止めてもらいたい”と、女子部員から名指しで糾弾されたことがあった。

そんな実体験があったので、前述の“この曲から女性ファンが〜”に関しては腑に落ちないのだが、これは僕の周りが特殊だったのだろうか?

コンサートなどの現場に関しても、女性ファンが増えてるな、なんていう実感は全くなかった。翌年の83年くらいからチラホラ女性の姿が目立ち始めた、という印象は残ってるが。

82年の「赤いスイートピー」でファンになって、ようやくコンサートにも足を運ぶようになったのが83年頃から、と考えれば辻褄は合うけど。

公開番組の映像(トップテンやレッツヤンなど)で女性の歓声が多く聞こえるものがあるが、あの人達は誰に対しても声を出すんですよ。特に団体枠で入場してる修学旅行生の集団なんかは。だからあの歓声は当てにならない。当時の公開番組の現場を経験してる人なら僕の言ってることがわかると思う。

前述の聖子発言は曲にドラマ性を持たせる為に、表現方法も含めてかなり盛ってる気がする(作者やスタッフの証言も同様)。そういう演出的なことをするのは得意な人だしね。

女性ファンが“いつからファンになったか?”ということを振り返った時に、“そういえば「赤いスイートピー」くらいの頃かな”と、ぼんやり思い出す程度のこと、って気がするんだけど。

***

そんな「赤いスイートピー」のシングル盤のジャケットが二種類あったということを最近知って、今頃驚愕。とは言っても、「制服」のタイトル文字のフォントが大きいか小さいかの違いだけらしいが。

それでも発売当時にそのことを知ってたら、血眼で探していただろう。今はもうそんな情熱はないので、わざわざ探すことはないと思う。

僕がこの連載で載せてる画像に写ってるものは全て当時から持っていたもので、後からオークションなどで入手したものではない。僕がオークションで手に入れた聖子関連商品は、83年にフジテレビで放送された「ザ・スター 振り向けば・・・聖子」をダビングしたDVDと、「マラケッシュ」の7インチのサンプル盤だけ。

スタート当初のヤフオク(当時の名称はYahoo!オークション)は無法地帯だったので、テレビ番組を録画した著作権無視のDVDも数多く出品されていた。「ザ・スター」が放送された頃はまだビデオデッキを持っていなかったため録画テープが残っておらず、どうしてももう一度見たかったがどうにもならなかった。そんな悶々とした日々を15年近く過ごしていたので、オークションで見つけた時は藁にもすがる思いで入札した。まだYOUTUBEが登場する5,6年前の話だ。

「マラケッシュ」は初めて買ったシングルCDだが、後になってからアナログ盤が欲しくなってオークションで落とした。商品が届いてみたらたまたまサンプル盤で、僕はそっちのほうがレアなので嬉しかったが、音源は市販品と同一だったのでレアでもなんでもない。


***

赤いスイートピー」という曲はレコードやCDで何千回も聴いてたし、コンサートや番組観覧などの現場でも何度も聴いてきた曲だが、世間の評価ほど個人的にピンと来る曲ではなかった。決して嫌いではないけれども・・・

しかしリリースから20年以上経ったある日の武道館でこの曲を聴いていた時、突然ズドーンと自分の中に何かが入ってきた瞬間があった。その時初めて「赤いスイートピー」が解った気がした。

聖子さんのコンサートでそんな経験をしたのは、その時で二度目だ(一度目は独身時代の最後の武道館で歌った「Only My Love」の時)。

***

赤いスイートピー」を歌ってるところ


こちらも「赤いスイートピー」の頃のレッツヤンを二階席から撮った写真。真ん中の黄色い衣装が聖子さん(1982年1月18日)。


その頃届いた82年最初のコンサートのお知らせ。


山野楽器からも写真展のお知らせの葉書が届いたが、行った記憶が全くない


聖子さんの写真展といえば、83年か84年に渋谷の東急本店でポラロイド写真展があってそれを見に行った記憶があるけど、内容は全く覚えていない。


続きを読む