極私的松田聖子エピソード集 part7

マニア気取りか?デビューした年はちょっとしたテレビ番組やラジオ番組にも頻繁に出演していたのでそれらを観覧しに行く機会も多かったが、既に人気歌手の仲間入りをしてしまった二年目ともなると、一般客が観覧できる番組と言ったら、「レッツゴーヤング」、「ザ・トップテン」、「8時だョ!全員集合」くらいなもんで、生で見れる機会がめっきり減ってしまった。しかもそれらの番組は人気番組だから滅多に会場へ入ることはできない。

会場へ入る為には観覧希望の葉書を何十枚も出すわけだけど、まだ親から小遣いを貰ってやりくりしてた身分だったので、葉書代も馬鹿にならなかった。

そんな1981年の後半にコンサート以外で聖子さんを生で見たのは、後楽園球場でやったTBSラジオのアイドル特番の公開生放送に参加した時くらいだと思う。

その特番は当時の人気アイドル歌手が一堂に会した豪華なもので、田原俊彦近藤真彦松田聖子河合奈保子柏原芳恵(敬称略)その他大勢が出演。しかし何故かこの特番に関しては印象が薄い。司会が松宮一彦さんだったのは憶えてるが・・・。

僕が観てた席はバックネット裏だったんだけど、今のドームコンサートみたいに巨大スクリーンがあるわけでもないから、ほとんど豆粒状態でしか視覚的な記憶が刻まれていない、ということもあって印象が薄いのかも。聖子さんが「白いパラソル」を歌ったのはなんとなく憶えてる。

彼女がスタジアム級の会場で歌ったのって、これと「ザ・ベストテン」の中継で大阪球場で歌ったやつ(風は秋色)しか記憶にないけど、他にもあるのかな?

***

ちょうどその特番と同じくらいの時期に聖子ファン仲間の友達(「part4」に登場したエラージャケの人)から「8時だョ!全員集合」の観覧に誘われたんだけど、バンドのライブ(僕が出演する側)があって泣く泣く断ったことがあった。チケットは、サンデーズのメンバーでもあった某アイドルの親衛隊に所属してた同じクラスのK氏(NOT 聖子ファン)が、その親衛隊ルートで入手したらしい。その日の公開放送にはK氏が推していた某アイドルも出演していた。

週が明けた月曜日、公開放送を観に行った聖子ファン仲間の友達が、学校で僕と顔を合わせるやいなや、血相を変えて話し始めた。その話の内容は・・・。

友達一行(3名)は全員集合の公開放送が行われる会場に早めに着いたので、近くの喫茶店で時間を潰すことにしたそうだ。そしたらなんと、店の奥の席で聖子さんが雑誌のインタビュー取材中だったというのだ!取材が終わった後にダメ元でサインと握手をお願いしたら、快く対応してくれたとか。

友達一行3名(うち2名は聖子ファンではない)と僕は全員同じクラスだったんだけど、聖子ファンじゃない2人(特にK氏)からずーっと自慢話を聞かされて、人生最悪の月曜日を過ごした。

ファン歴35年で一番悔しい思い出がこれ。

***

悔しがっていても来年のカレンダー買ってくれ、というお知らせはやってくる。


***

そんな悔しい時期にリリースされたのが「風立ちぬ」。これで大滝詠一さんと出会うことになるが、そのことは以前にも書いたので転載。

その翌年に松田聖子風立ちぬ』がリリースされ、初めて大滝マジックに触れることになる。その後慌ててロンバケ購入。風立ちぬロンバケという順番で聴くことになったのは、果たして良かったのか?ということを長い間自問自答することになる。

風立ちぬ」で大滝さんと出会う

NIAGARA VOX』を購入し、シュガー・ベイブの『SONGS』を初めて耳にする

山下達郎に興味を持ち、やがて「PLEASE LET ME WONDER」のカバーを耳にする

ビーチ・ボーイズと出会いどっぷり浸かり始める

という流れでリスナー人生が広がっていったのでした。

***

写真集の予約用紙


予約すると以下のクリスマスカードとステッカーが送られてくる。






当然本人が直接送ってきたわけではないが、差出人が「松田聖子」の封筒が家に届いた時はテンション上がった。

母親:“聖子ちゃんから手紙が来てるよ”
オレ:“エェェェェェェェェ!”

なんて会話が実際にあった。

***

この時の写真は30カットくらいあったハズなんだけどこれしか見つからなかったので、今回はこれだけ。


続きを読む