コンサート会場の規模について思うこと

たまたま手に入れた香港のゴシップ雑誌に、日本の写真誌にも掲載されてた、宇多田ヒカルの例の写真が載ってたんだが、そのタイトルが“『平成歌姫』宇多田光近排真係多災多難”だって。ホントに災難だね。こんなものまでチェックしてる、ボクみたいな物好きと同レベルの人間が香港にも沢山いるかと思うと、“人の振り見て~”なんてことを思い出し、襟を正してこの文章を打ってます(ウソ)。

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“武道館や東京ドームのライブなんて見る気がしない”という意見をよく耳にします。

たしかにあそこは、音楽を聴くために建てられた施設ではありません。じゃ、なんでボクは抵抗なく頻繁に大会場でのライブに通うかと言ったら、ステージ上の人間と観客と会場とを、全部ひっくるめてコンサートだと思ってるから。大きいとか小さいとかは問題にしてないんです。勿論、小さい会場にはそれなりの良さがあるし、スタジアムライブには、独特の“ワケわかんないスケール感”があって好きなんですよね。そもそも、比べること自体がナンセンスかも。別モノとして考えたほうが、ハナシは簡単ですな。キャパに合った楽しみ方を会得するのがベストじゃなかろうかと。会場の規模に合うだけの存在感とパワーを兼ね備えた人のステージって、遠くからでも十分伝わってくる。ストーンズやガンズなどは、スタジアム級じゃないと、逆にツマンナイんじゃないかと思うことさえあるし。

小さいライブハウスに出演してた頃から見続けて、武道館のステージに立てるようになった姿を確認した時、“遠い存在になってしまった”と思う人もいれば、自分のことのように嬉しく思う人もいたり。6月に“二人だけで”東京ドームのステージに立つ“ゆず”を、ストリートから見守り続けてきたファンの心境って、どんなんだろう?

そもそもボクにとってコンサートってものは、“同じ時間に同じ空間にいる”ってことが一番大事なことだったりするんだな。