リトル・ギャング「アイ・ラブ・ユー」(曽我泰久、松原秀樹)

kzroom
Side.A

アイ・ラブ・ユー(2:46)
作詞:たかたかし、作・編曲:馬飼野康二

Side.B

幼な友だち(3:11)
作詞:たかたかし、作・編曲:馬飼野康二

1975年7月25日発売 JP-1001

やっちんの初レコーディング。当時12歳、身長138cm、体重28kg。

やっちんがジャニーズ入りした頃、「月刊平凡」の正月号かなんかの巻頭ページに、“今年もジャニーズファミリーをよろしく”みたいな、当時のジャニーズ事務所所属タレントが一堂に会したグラビアが載っていたのを見た*1。その中にリトル・リーブスのメンバーとして妙に幼い男の子が写ってて、“こんな子供みたいな子が入ったんだぁ”と思ったのをよく覚えてる。これがやっちんとの初遭遇(当然当時は自分も子供)。その翌年くらいに「ぎんざNOW*2で初めてリトル・ギャングを見た瞬間、“あの子だ!”(僕のほうが年下だけど)とピンと来たことも、よ〜く覚えてます(相方の松原秀樹さんのことは、やっちんよりも前から認識してたがその話は以前のブログに書いたので割愛*3)。

実際にこのシングルを入手したのは80年代に入ってからだったんだけど、ずっと僕のフェイバリットであることに変わりない。僕は大の馬飼野康二フリークでもあるんだけど、馬飼野先生の作品の中でも、文句無くトップ3に入る名作だと思う*4。この頃の作品特有の、ブラスとストリングスのスリリングな絡み、Aメロのベースラインなどは、何度聴いてもワクワクする。リトル・ギャングとしてはこの曲のみ『ディスコ歌謡:BMGファンハウス編』というコンピレーション盤でCD化されているので、機会があったら聴いてみて欲しい。

B面の「幼な友だち」はA面とは違ってほのぼの系バラード。ヤッチン、ヒデキのソロパートが聴けるのが貴重。やっちんのソロライブに萩原健太氏がゲストで出演する際にはこの曲がネタとして使われることが多く、健太さんの伴奏で1コーラス歌うこともある。

リトル・ギャングのディレクションを担当していたのは、馬飼野先生との仕事がやたら多いロビー和田氏*5。で、この頃和田さんのアシスタントをしていたのが、RCAレコードに入社したての小杉理宇造*6(現:スマイルカンパニー代表取締役社長、ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役)。現在まで続く小杉さんとジャニーズの繋がりは、リトル・ギャングから始まったのであった!。リトル・ギャングがなければ、山下達郎が「ハイティーン・ブギ」や「硝子の少年」を作ることもなかったかもしれない。そう思うと、歴史的にもとても重要なシングルなんですよね。

でも、そんな背景はどうでもよくなってしまうくらいのパワーが、この曲にはある。二度と戻らない天才的ボーイソプラノと馬飼野ポップスの奇跡的な融合。これ、ちゃんと再発しないのは、日本のポップスの大きな損失だと思うんだけどなぁ。

*1:その頃、家の隣に三つ年上の郷ひろみファンの女の子が住んでて、彼女の家に遊びに行くとその手の雑誌やレコードが豊富にあった。僕のジャニーズ好きは彼女の影響が物凄く大きい。

*2:関東ローカルで放送してた若者向けのバラエティ番組。自慢じゃないが僕は「ぎんざNOW」全放送の8割くらいは見てると思う。実際に銀座テレサに観に行ったこともある。

*3:既にそのブログは公開中止にしてしまったんだけど、読みたいって人がいたので、そのエントリーだけ過去ログページに再掲載しておきました

*4:他の二曲はチャコヘルの「恋はジャンプで」とキャッツ・アイの「アバンチュール」かな。

*5:やっちんのセカンドソロ『Soga』の製作にも関わっている。

*6:ちなみにこの曲を作曲してる馬飼野先生と小杉さんは元ブルー・シャルムのメンバー同士。余談だが、松本隆×筒美京平コンビが最初に手がけた曲として有名な「谷間の百合」を歌っていた桑原一郎も、元ブルー・シャルムのメンバー。松本×筒美コンビ7年ぶりの新曲となる中川翔子の「綺麗ア・ラ・モード」が楽しみすぎて萌え死にそうなこの頃。