全女の思い出を語るよシリーズ(1)

どんな時もどんぶり勘定です

いよいよ来週で37年の歴史に幕を閉じてしまう全日本女子プロレスについて、その思い出を綴っていこうという、誰も期待していなければ読みたくもないシリーズを始めようと思う。“シリーズ”といいながら、これが最後かもしれないけどね。まぁ気が向いたら二回目もあるかもよ。

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そもそもボクは“大のプロレスファン”というほどではないにしろ、なんとなくテレビ中継は見てた、程度のライトファンとして少年期を過ごしました。しかもそれは男子プロレスの話で(新日メイン)、女子プロは“別のもの”みたいな感じで、色物扱いしてたようなところがあった。

やがて新日にクーデター(1983年)が起こり、会社内部のゴタゴタを見せ付けられて嫌気がさし、すっかりプロレスから離れてしまうことに。

それから数年経ったある晩(1991年頃)、、深夜に中継されてた「全日本女子プロレス中継」を、たまたま目にすることになる。

知ってる選手は一人もいなかったけどなんとなく見てたら、腕にギブスをした選手がリングに登場してきた。確か骨折だか脱臼だかしてた、とアナウンサーが言ってたと思う。“なんて無茶なことする子なんだろう”と思いつつ見てたら、案の定、痛めてた腕を集中的に攻撃されて悲鳴をあげてた。結果的にドクターストップで試合は中止されたんだけど、あんな状態でリングにあがって、試合が中止になっても“やらせろ!”と泣き叫び続けてたその選手が妙に気になって、彼女の名前が頭にインプットされてしまった。

北斗晶

続く(かも)。