1999年3月前半(旧サイトより移行)

3月1日(月)

コンビニの店員に、愛想や接客マナーを期待するのはムリな話。

近所のコンビニに最近入ったバイトの女の子は、”いらっしゃいませ”も、”ありがとうござます”も言わないし、いつも機嫌がワルそう。いくらなんでも、もうちょっとなんとかならんのか。「コンビニ店員ウォチャー」を自認するボクはキビシーぞ。別の店の、宇田クン(仮名:22歳、浪人、彼女いない歴22年、大木凡人似)は、いつもニコニコさわやか青年だ。

ちなみに、その愛想のない女の子も、大木凡人似なんだな。



3月2日(火)

この一週間あまりの多忙で、毎日睡眠時間が2時間くらいしか取れず、いつ倒れるかと思いながらもしっかりココの更新は欠かさない。”ホントにオマエ、忙しいのか?”と、ツッコミいれないでね。なんとか生きてます。

「中腰で歌う女」、宇多田ヒカル。なぜ、その姿勢で歌う?気になってしょーがないよ。誰かそのナゾを解明して!



3月3日(水)

世はひな祭。

”あかりをつけましょぼんぼりに~”って、どうしてこんなに悲しいメロディーラインなんだろう。”きょーおはたのしいひなまつり~”、ぜんぜん楽しそうじゃないじゃん。メロディーの起伏と歌詞の内容が、まるでアンバランス。

「笑いながら怒る男」みたい。



3月4日(木)

興味のない人にはどーでもいいことだろうけど、『蝶野正洋VS大仁田厚』の電流爆破決戦が、イッキに可能性を増してきた。これは一大事!。ブライアンがホントに日本の地を踏むのか?ということよりも実現の可能性は高そう。

今年はまだ3月なのに、考えられないようなことが次々に実現して、正に世紀末の様相を呈してきた。これから先、楽しみなことが盛り沢山でスケジュール調整が大変そう。

ダスティ・スプリングフィールドが亡くなった。

この人の曲で最初に耳にしたのは、ベイ・シティ・ローラーズがカバーした、「I

Only Wanna Be With You」。小学生の耳にもすんなり入ってきたメロディーライン。

合掌。



3月5日(金)

なぜか青葉台で飲み会。これがまた、濃い~の、濃いくないの、ってどっちなんだ?、と自分でツッコミたくなるような楽しいひととき。

あぁ、また時間を忘れてしまった。帰宅する為に電車に乗っても、気がついたら逆の方向に走ってて、一体どうなってるんや~状態。どうやら寝過ごして終点から折り返してたみたい。現実を把握するまで5分もかかってしまった。なぜか肘がすりむけてるし。

なにしてたんだオレ? で、AM 7:00帰宅。



3月6日(土)

ここのところ生活が不規則で、朝になってから寝ることが多いのだが、たまたまつけっぱなしにしてたテレビから、思わぬ拾い物をした。

それは『早起き!ヘルシー』という番組。基本的には通販番組なんだけど、先日の商品は「ボディブレード」という、よくわからない棒。これを持って4人の女の子が踊る映像がとても寒い。しかも、これまたよくわからないおじさんが弾くベースのみをバックに踊るワケ。女の子達の複雑な表情もイイ味だしてる。

朝からメマイしたい方にはオススメ。



3月7日(日)

こーして日々バカなことを書き連ねてると、”いったいボクってどーゆー印象を持たれてるのだろう?”と思うことがよくある(お会いしたことのない人に対して)。

音楽関連の情報を求めてさまよってるうちにココへたどりついて、イキナリこの文章じゃなぁ。でも一応、「音楽系サイト」のつもりです。見逃してやってください。

しかしYAHOOは、ココを音楽のカテゴリに入れてくれませんでした。いじわる。



3月8日(月)

ブライアン・ウィルソンにつづいて、ジェフ・ベックの来日まで決ってしまった。

ホント今年はどーなってるの?「恐怖の大魔王」が降りてきても、我人生に悔い無し(Byゆーじろー)、決して大袈裟じゃないよ。しかも、ベックはボクの誕生日にLIVEをしてくれる。最高のプレゼントだぁ!。



3月9日(火)

XTCが渋谷にやって来た!

で、のこのこHMVまで会いに行って無事にサインをゲット。XTCのアルバムで一番好きな『SKYLARKING』のアナログ盤を持参して、アンディ・パートリッジとコリン・モールデイングにサインしてもらう。握手までしてもらって感激。ホント夢のよーな瞬間だった。デジカメ持って行ったんだけど「写真撮影禁止」の為断念。でも隠れて何枚か撮ったんだけど、ソコにはギャラリーの頭しか写ってないというオソマツな結果。

是非次回はLIVEで来日してほしいと切に願うところ。



3月10日(水)

国立代々木競技場第2体育館にて、「LLPW VS 全日本女子プロレス全面対抗戦!!」を観戦。

プロレス会場には珍しく、LLPWサイド、全女サイド、と場内を真っ二つに分けて座席が配置されてて、応援メガホンを打ち鳴らしての観戦と、まるで野球場みたいだった。

メインの神取VS堀田は、堀田のKO勝ち。不透明な裁定に場内は暴動寸前。リング内にやたらと物が投げ込まれてマズイ状況。あんな結果じゃ、どっちのファンも納得できないのは当然。ちょっとガッカリ。

ところで、”山弦”のCD、見つからないっスよ。来週出直します。



3月11日(木)

早いもんで、このページ始めて丸一年。無事満一歳を迎えました。

一年前のあの日、つい出来心で始めたものが、ここまで続くとはね。しかも既にライフワークと化してる。そう、永遠に続くのさ、このページは!ボクは棺にノートパソコンを入れてもらうように、遺言状に書いとくからね。ウソだけど。

来年の今頃も、きっとバカなこと書いてるんだろうなぁ。ちなみに、今なにかと話題の梅宮パパも、3/11生まれらしい。たっつぁんと同じ誕生日かぁ、こりゃイイや。



3月12日(金)

雑誌『REMEMBER』が、約10年ぶりに復活した。

80年代に、『よい子の歌謡曲』と共に、ボクを”マニアの底無し沼”へと導いたミニコミ誌。この2誌が無かったら今のボクは無かったと言っても過言ではないでしょう。

まだ『REMEMBER』が定期的に発行されていたころ、編集長の高さんに何度かお会いしたことがあるんだけど、この方の何気ない一言一言が、ボクのそれ以降の”マニア道”に与えた影響度と言ったら、それはそれは計り知れないモノ。

初めて高さんとお会いした席には、ピチカートⅤ結成前夜の小西康陽氏、現在スピッツのディレクターを務めているT氏、松本隆研究家のW氏なども同席していて、今考えるとすごいメンツ。この雑誌がボクの人生を左右するような存在だったのも頷けるというもの。

『REMEMBER』が休刊中の高さんの充実した仕事ぶりは今更ここに書くこともないでしょう。高さんがコレ読んでるとは思えないけど、影ながら応援してるんで、今後のご活躍を期待してます。



3月13日(土)

さっき、桑田佳佑がFMで山下達郎のモノマネしてたんだけど、これがまたゼンゼン似てねぇ~んだ。でも逆に笑える。これって大事なことだね。

以前、ボクもMTRを使って一人多重録音で「悲しみのJODY」をモノマネでレコーデイングしたことがあるんだが、今これを聴くと人生やり直したくなるから聴くのはやめとこう。

飲み屋で知り合ったキレイなオネエサンを口説いてみたらニューハーフだった、なんて経験は男なら誰でも1度や2度はあるもの。

ニューハーフだとずっと思ってた人が、実はホントの女性だった場合は、本人にそのことを打ち明けるべきだろうか?



3月14日(日)

”はるはおわかれの~きせつです~♪”ということで卒業シーズン到来。

卒業式なんてものを最後に経験してからだいぶ経つけど、どうもあのシチュエーションってダメだねボクは。涙腺弱いから。

”そつぎょうしきで~なかないーと~つめたいひとといわれそう~♪”なんて歌があったけど、ボクはいつも必死で「醒めたヤツ」を演じてごまかしてました。

斎藤由貴の「卒業」を作詞した松本隆さんは、このテーマが大得意で、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、松田聖子の「制服」といった名曲を生み出してる。この3曲とも、地方のカップルが卒業を期に男性が上京して、残された女の子は思い出を胸に心の中で彼を見送るって状況設定。東京生まれのボクには経験ないけど、こーゆーのって、ちょっと羨ましかったりする。でも松本隆って、青山育ちの慶応ボーイなんだよね。

きっと彼もそんな願望が少なからずあったんだろうなぁ。




3月15日(月)

以前隣りに住んでいた夫婦は、美男美女のお似合いのカップルなんだが、その子供がどういうワケかイジョ~にブサイク。

エレベーターで一緒になった時、おもわず”キミ、ぶっさいくやの~”とノドまで出かかったが、まだ「ぶさいく」という言葉の意味を理解できそうもない年齢なんでやめといた。彼の成長を見届けたかったが、先日引越してしまった。

元気でやってるかなぁ、アイツ。