極私的松田聖子エピソード集 part5

今回のラジオは可もなく不可もなく

久しぶりにレギュラーのラジオ番組を始めたということでラジオの話題でも。

聖子さんのラジオで特に思い入れがあったのは「夢で逢えたら」(日曜日の夜22時放送)ですかね。

ちょうどあの頃、自宅の建て替えの為に仮住まいのマンションに住んでたので、今でも「潮騒」(番組のエンディングテーマ曲)を聴くと“明日からまた学校だな”という「サザエさん症候群」的な思いと共に、あの部屋の景色が蘇ってくる。

しかし我々聖子ファンは、そんな「サザエさん症候群」に浸ってる暇はないのであった。なぜなら日曜日深夜は引き続き「はた金のオールナイトニッポン電話リクエスト」があったからである。

この番組は聖子さんがデビューした時からずっと彼女をフォローしていて、他では聞けない聖子情報満載だった為、聖子ファンにとってはマストだったのだ。時々フラっと彼女が予告なしに生放送中のスタジオに遊びにくることもあったし、番組パーソナリティーだったはた金さんと聖子さんのデュエットで番組オリジナルソング「シンデレラ騎士」(作詞:田代マサシ、作曲:鈴木雅之)をレコーディングしたり、なんてこともありました。

この「シンデレラ騎士」は全編“奇跡のファルセットボイス”で歌われている珍しいナンバーで、是非皆さんに聴いてもらいたいのだが、作詞者がアレだけに、今後オフィシャルな形で耳にすることは絶望的かもしれない。あの頃のファルセットはもう出ないし、当時の声で全てファルセットでレコーディングされている曲はないので、本当に貴重な音源なんですけどね。

ただ今回始まったラジオ番組が同じニッポン放送なので、リクエストの数次第ではオンエアあるかもよ。あの曲のマスターテープはニッポン放送の倉庫に眠ってるはずなんだ(推測です)。そして僕がエアチェックした当時のテープも、部屋のどこかに眠ってるはず。近日中に発掘してデータ化する予定なので、期待せずに待っててください。

でも万が一ラジオでオンエアされるようなことがあったら、初めてステレオで聴けるということになりますね(当時のAMラジオはモノラル放送だった)。でもそれ以前に、ステレオミックスが存在してるのか?という疑問もあるが・・・。AMラジオで放送するだけ、という前提で作られた曲だから、モノラルミックスしかないかもね。

ところでなぜ曲を書いたのがあの二人だったのかというと、この番組はシャネルズがデビューした頃から彼らのこともよく取り上げていて、活動休止中の時もはた金さんが練習中の彼らをリポートしたりして、ずっと親身になってフォローしてたんですよね。だから番組としてもとても縁の深い間柄だったのです。

はた金さんは、聖子さんの担当ディレクターだった若松さんが送り出した渾身の聖子フォロワー、高橋美枝さん(デビュー曲の作詞は松本隆!)のお披露目イベント(渋谷東急東横店屋上)の司会も担当してて、イベント終了後にちょこっとお話ししてもらった記憶あり。

その時に貰った高橋美枝さんのサイン

そういえばはた金さん、神田氏との披露宴の生中継の時、円卓でテレビのインタビュー受けてたよね?

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高橋美枝さんの名前が出たついでだけど、彼女のデビュー曲「ひとりぼっちは嫌い」は作詞が松本隆さんで作曲は松尾一彦さん。

松尾さんは当事オフコースのメンバーだったわけだが、その頃「オリコン」に掲載された若松さんのインタビュー記事に「小田和正さんや矢沢永吉さんにも作曲のオファーをしている」という発言があって、その時にできたコネクションがきっかけで松尾さんが曲を提供することになったのかもなぁ、と妄想したものですが、真相はわかりません。

高橋美枝さんの曲はどれもクオリティが高く、聖子さんが歌っても全く違和感が無い作りになっている。サウンドプロダクションが聖子さんのスタッフと同じなので違和感が無いのは当然なんですけどね。ちなみにB面曲の「ピンクの鞄」は、作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:大村雅朗、という布陣。

ひょっとしたら松尾さんが作った聖子曲も実現してたかもしれない、と思うと残念です。

聖子さんは初期のコンサートでオフコースのカバーを歌ったことがあったけど、小田和正さん曲との相性は?だった印象がある。

矢沢永吉さんが作った聖子曲というのも実現してたら面白かったが、まぁそれは無理な話。

近藤真彦さんが矢沢さんに作品提供を直訴して断られた有名なエピソードを持ち出すまでもないでしょう。

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聖子さんが参加してるのにディスコグラフィからは完全に抹殺されている、この知る人ぞ知る「スッポンポンレコード」。

なぜ抹殺されているのかと言えば、「歌ってない」、「非売品」ということがその理由なんだろうけど、歌ってなくて非売品ということなら、「ユートピア」のプロモカセット「Seiko Love Message」も同じ条件なのに、wikipediaディスコグラフィに載ってるんだよね。その違いやいかに?

この「スッポンポンレコード」は、聖子さん初の単独レギュラーラジオ番組「ピンクのスニーカー」が放送されていた「吉田照美の夜はこれから てるてるワイド」のレギュラー陣が参加したオムニバス形式の所謂“おしゃべりレコード”で、リスナープレゼント用に制作されたもの。

続編の「スッポンポンレコード2」というのも制作されたんだけど、僕は抽選に外れたので持ってない。たしか「2」にも聖子さんが参加してたような気がしたが、どうだったかな?肝心なところを忘れてしまった。

この頃は平日でも毎晩、聖子さんのラジオ番組があって、日曜日の昼はFM東京、夜はニッポン放送でも番組が、なんて、今からしたら夢のような時期でしたね。

「てるてるワイド」は番組冒頭に、リスナー参加の「曲当てクイズ」というのがあって、僕はそれになんと二回も参加したことがある。

二回目の時はたまたま聴取率週間ということもあって、スタジオゲストとして、野村義男さん、三原順子さん(現:三原じゅん子)、石川秀美さんがいらしていて、参加賞のノベルティグッズが送られてきた時に、ゲストのサイン色紙も同封されていた。


写真左上から時計回りに吉田照美野村義男三原順子石川秀美(敬称略)

聖子さんは僕が参加した日じゃない曜日のゲストでしたね。

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夏の扉」は1981年4月21日発売だが、その3日前に行われた日比谷野外音楽堂のコンサートで先行発売され、ちょっとばかり早く手に入れられた。

早速ジャケットを下敷きに挟んで学校に持っていったら、“何でお前、もう持ってるの?”といわれて御満悦、なんてことがありました。

ところで「聖子の野音」といえばあまりにも有名になってしまった“例の写真”があるが・・・。

あの写真は現在に至るまで三流芸能ゴシップ誌に脈々と受け継がれ、今ではネット上でも散見できるが、初出は「月刊カメラマン」という雑誌に投稿されたものだった。

そのオリジナル記事の切り抜きと当日のチケットがこちら。


この時はS席という席種はなく、A席B席のみでした。L列ということは12列目ですね。もうちょっと前で見てたような気がしたが気のせいか?。

上記の写真を掲載してる記事を見ると大抵、“春風のいたずら”という書き方をしているが、実際のところあれは風によるものではなくて、聖子さん自らがくるくるターンしてスカートを舞い上がらせていたのです。そんなシーンが何度もあったし、衣装チェンジした後は全くターンをしなくなってしまっていた。あれは確信犯なんですよ。“春風のいたずら”は都市伝説です。

このコンサートは事前に“撮影可能”という告知はされてなかったが、入場時のカメラチェックはなかったし撮影してても全くお咎めなしだった。その為に一般客が撮ったあの写真が投稿され拡散してしまった、というわけです。

これを撮影した人、“埼玉県浦和市に住む****クン(とある高校の3年生)”と、本名まで掲載されてたけど大丈夫だったのかな?今回は一応、氏名のところはボカシておきました。

「聖子の野音」の様子は、「野菊の墓」のDVDに収録されている特典映像で、一瞬だけ見ることができる。

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文化放送「サンデーミュージック」公開録音時より。ここ普段はビアガーデンのステージなんだよね。この写真は保存状態が良かったです。

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