極私的松田聖子エピソード集 part12

kzroom2016-01-08

昨年大晦日の「紅白歌合戦」における聖子さんがイヤモニを使ってなかった件について、一部で話題になってましたね。

聖子さんに限らずベテランの方はイヤモニを嫌う傾向にあるみたい。

僕が“イヤモニ”と聞いて思い出すのは、マイケル・ジャクソンが映画「This is it」でジャクソン5メドレーのリハをやるシーンの時に、イヤモニを嫌がる場面。

イヤモニなんてものがなかった時代からステージに立ってる人からしたら、あんなもの煩わしいだろうね。

デビュー当時の聖子さんが、モニタースピーカーすら無いような劣悪な現場でも正確なピッチで歌ってたのを何度か目撃したことがあるが、よほど広い会場でない限りは、どんな状況でも歌える自信があったのかもしれない。ましてや「紅白」は、毎週通った勝手知ったるNHKホールだしね。

田島貴男 オリジナル・ラブ
@tajima_takao

松田聖子さんイヤモニ使ってないね。
https://twitter.com/tajima_takao/status/682571786815275010

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秘密の花園」という曲が紆余曲折を経て世に出たエピソードは、現在ではファンならば誰でも知ってる周知の事実で、財津和夫さんが作曲したとされる世に出なかった未発表バージョンの音源までもが、ネットで手軽に聴くことができる。

僕がこの財津バージョンを初めて聴いた時、まるで生き別れの兄弟と対面でもしたかのような胸を締め付けられる思いがして涙が出た。正規バージョンを耳にしてから約30年のタイムラグを経ての財津バージョンだからね。この感覚は後追いファンには理解できないだろう。現在では財津バージョンが愛おしくてたまらない。未発表バージョンと正規バージョンどちらが好きか?とか、どちらがクオリティが高いか?とか、そういう問題じゃないんだ。

あと、この2つのバージョンを比べて未発表に終わった財津バージョンについて批判的な意見が散見するが、そもそも制作過程や制作条件が違う2曲を比べてどうこう言うこと自体がナンセンスだ。ましてや財津さんのソングライティング能力について意見するなんて愚の骨頂でしかない。

松本隆さんが“松田聖子プロジェクト”に途中からスムーズに合流できたのも、松本さんから見たら“こっち側”の財津さんが先陣を切ってレールを敷いていてくれた、ということが大きかったと思う。

松本さんがはっぴいえんど解散後に初めて作詞家として歌詞を提供した「夏色のおもいで」の作曲パートナーも、聖子さんに初めて歌詞を提供した時の作曲パートナーも財津さんだ。松本さんが作詞家として大きな分岐点に立った時に、財津さんが傍らにいたケースは少なくない。松本さんにとって重要な作曲家の一人であったことは間違いないだろう。

財津さんはソングライターとしてだけでなく、制作ブレーンとしても“松田聖子プロジェクト”において非常に貢献度が高い人物なので、改めて彼の功績について考えてみるべきだろう。

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話を「秘密の花園」に戻すが、この曲は10作連続1位の記録がかかっていたためか、初めて「購入者プレゼント企画」が行われた。


さらにデビュー年以来と思われるリリースイベントも予定されていた。

当時、新星堂が発行していたフリーペーパーにイベントの告知が載ったんだけど、結局中止になってしまった。あの頃の聖子さんが都内でフリーイベントなんてやったら、パニックになっていただろう。やったらやったで伝説になってたかもしれないが。問題のフリーペーパーは家のどこかにあるはずなので、見つかったら掲載します。

この幻になったイベントについては検索しても全く情報が見つからないので、ほとんどのファンはそんな予定があったことすら知らないと思う。見たかったねぇ、これ。

あともうひとつ、84年の12月にも幻に終わった「公開ゲネプロ」というのがあった。これについても全く情報が見つからないので、おそらくネット上に書くのは僕が最初だと思うが、公開ゲネプロ決定から中止までの顛末はまた後日「Part19」で書く予定。

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某パーティーにて。


この写真は保存状態が悪いなぁ。

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