↓のtaideomouhibi氏のコメントに対するレス

若いミュージシャンでもセッションできる人もいればできない人もいるだろうから、「今の若いミュージシャン」と一括りに言ってしまうのは乱暴だと思いますよ。そもそもセッションできたから偉いワケでもないし、できないからダメというワケでもないと思うし。

近年では、楽器ができなくても作曲やアレンジをして、一人で完パケまで仕上げることが可能となりました。そんな人達に“セッションしようぜ”といったところでできるハズもなく、だからといって彼らの作った音楽が全てダメというワケでもない。つまり、「セッションできるorできない」ということが、ミュージシャンとしての資質には何ら影響するものではない、といえると思います。

そんな「楽器のできないミュージシャン」が作った音楽にも、R&Bやブルーズを感じるものは多い。ただ、個人的な心情としては、“R&Bやブルーズを演るなら楽器くらいできて欲しい”というのはあるし、そのほうが説得力があるのは確かだろう。

しかし、この「説得力」というのが、実は何の意味も持たないものでして、よく“○○って楽譜読めないんだろ?”と、楽譜の読めないミュージシャンを見下したような(ミュージシャンとして劣っているかのような)言い方をする人がいますが、「楽譜が読めるor読めない」ということが、ミュージシャンとしての資質には何ら影響するものではない、なんてことは、今さら力説することでもないでしょう。「読めたほうが便利」というのは確かにあるけど、「楽譜が読める」ということは、ある一部の層に対する、「説得力」の一部でしかないのです。

「楽器ができるorできない」ということも、もはや、ある一部の層に対する、「説得力」の一部になりつつあると思う。その「ある一部の層」にとっては、「楽器ができない」ということは、叩く材料としては格好のネタだろう。「楽器ができない」=「ダメ」、「セッションできない」=「ダメ」、といったところか。そんなことは全く無意味なんだけどね。

リスナーとしては、出来上がった音源もしくはライブで、好きか嫌いか判断すればいいワケで、そのミュージシャンのバックボーンとか音源が出来上がった過程とか、そんなことは後から考えればいい。一番大事なのは音源orライブだと思う。CD買う時に、“この人は楽器できるから”とか“この人は楽譜読めるから”とか“この人はR&B通ってるから”、なんてこと気にして選んでないでしょ?叩きたい時になって初めて、“こいつはR&Bを通ってない”とか言い出すんだよね。つまり何度も書いてるように、叩きたいが為の理由探しをして、自分の意見が正論だと主張したい、悦に入りたい、見下したい。そういうことでしょ。

違いますかね?